着付けのお教室は、8回無料で、6回めに綺麗な振袖を着付けて貰い、お茶お菓子をふるまわれ、有料コースへの勧誘を複数人がかりでせっとくされる仕組みだった。のこり7回8回のクラスは、有料コースに進まない場合に、通いにくくなる。7回めでギブアップ。
有料コースが始まる日時を指定されたときに、息苦しさをかんじた。喜んで進んで通えるはずの、好きなきがする着付けのことが、いっきに、拘束事。のように感じられた。緩やかな、やってみようかな、という気持ちが、複数人の、あまり口をきいたことがないような人が、勧誘成功すればマージン貰えるのか?という必死さでカレンダーを指さしたとき、気持ちは離れたと思う。
どちらでもよかった。毎週、顔を合わせるひと、ざっくばらんな口をきく機会が、めっきり、減っている。子供の頃は、親はわたしを否応なしに、いろんな場所に連れ回していた。習い事とか、子供達が集うサークル活動に参加するなど。社交性がないことが、ダメなことみたいに扱われた経験から、社交性を問われるようなことが苦痛。社交の場所に対して、警戒心がある。社交性ってあってもなくてもいいもののはず。輪によって、変幻する。ということを、ひとびとは、親もね。知るべき。
そう。輪によって、変幻する。
学校がなじまない、職場がなじまない、〇〇が合わない。そのときは、周りの人人を、全て入れ替えてみれば変わる。あ、ちょっと話が反れた。
着付け教室は、通っているには、そこそこあたたかくて、居場所のひとつになりそうだったけど、
有料コースは3万9千円らしい。遣い方は、着付けではないと思った。毎週、時間を決めて、公民館あたりで有志が集えばいいはなし。地域的なコミューンも消えて、あたたかみを中心とした集いかたがなくなってる。金、金。資本主義だから、金が解決するってことらしいけど、お題目で、お着物とか代々伝わる家の料理とかに、お金からませてるかんじに違和感がある。
3万9千円、このお金を、とても好みの通りに遣うとすると、どのようになるか。を実験したくなった。わたしは、払える。なににどのように払えば、頂点な満足度がえられるか。について、考察して、お金の主人になってみよう。
着付け教室へ通うかどうなの。って話の、現在の展開は以上です。