もろにおもっていることだけど
どこそこに雇われて、以上。ってひとの発する、経験がプアゆえの、物事への意味の付け方がプア。こういうの、聞くに耐えない。囚われてるだけの空っぽ感。
何を言ってるんだという時に、こちらから鏡を用意して、その歪みを問うといいとおもった。
立場のどうにもなってない相手にも、偉そうな立場って人にも同じく、わたしは、そのひとの姿を映す鏡を差し出して、ほら、見てごらん、という挑発をするようなところがある。
いかりがあるから。
わたしは、肝心なところを誤魔化した状態のひとを、嫌っている。そういう人は、なんらか洗脳でもされてるのか。俗。ってそういう空疎なひとびとの間でしかきょうゆうされない。視界が狭くて、危うい。
なんなんだおまえは。について、てっていてきに観察してゆく。それで、動的ないかりは、静的な分析におさまってゆく。
今日の朝は、自転車を立ち漕ぎしたり、まったくペダルを踏まないでどれくらい進むかためしたりしてたけど、こういう、ゆとりなことと、目が合いそうになってる人が、実はそこかしこにいたりして。ゆとりがある人は、お、いいね。という気持ちに成れる。そういうひとたちを、このゆびとまれ。で、わたしの世間にしたい。