毘沙門天さまが御出現された記念に、百味のお供えをしています。お酒を。寅の祭りは、本日です。時間の方からわたしに味方してくるかんじを、いくつか察したような。お祭りはわたしのことも含んでいたのだろうか。
あらたまった時間があった。あたまでえがくタイミングが、出現するかんじ。時間が「有る」ことの感覚が、子供の頃の時間のかんじは、こんなふうだったことが、甦っていた。大人は常に家具(なにかしらの荷物)を体にくくり付けて不自由にして、身動きがとれていないのに、移動しつづけているようなもの。ミウゴキガトレナイママ、ケワシイカオツキデ、イツモイソイデ、ドコカヘイコウトシテイル。どこへ?
信心というコトバは異なかんじだ。文化的な興味があって心を寄せている。ここにふれて、ひろいこころになることを、寅からの思し召しだとおもう。文化は目に見えるなにかだけではなく、摩訶不思議な神話そのもの。絵巻にものこっている通りです。