眼鏡をかけて、掃除を始めたら、気が付き過ぎて、なかなか終わらない。棚や鏡を拭く。床の端の桟も拭いた。
夜の時間に、映画を見始めて、前に観たやつ、2年以内くらいなのに、ほぼ覚えていない。断片の記憶だった。今、観たほうが、自分とピントが合っている。成功する話で、これでもかと試され事がつづいて、それを乗り越えてゆく。どうか神様、もうこれ以上、苦しめないでくれ。と、観ていて思った。いいえ、これこそ、当たっているひと。神様にかわいがられて、ほっておけないひと、だというところが描かれていました。
こんな目に遭っている自分が周りに晒されるのが、恥ずかしい、という出来事が重なってゆくという体験は、身に憶えがある。外見の体裁を、これでもかと壊されることで、扶養されている時期の貧乏。わたしは、他人からの評価を手放してゆけた。相対値に、意味が無い。ということ。を、ふりかかる処遇によって学ぶのだ。
他人軸ではなく、自分軸で生きることをおぼえたのは、というか大胆に実践してるのは、やっと、近年か。
映画では、内面の営みの美しさが、ありありと表情になっていて、どこにいても、人が美しいことを物語った。幸せになる力。という題名でした。