掃除機を掃除した。周期的にやらなくちゃな所なのだが、まだまだいいでしょ、と先送りしがち。それでいて、掃除機掃除し終わったら、なんて清々しく快適。もっとひんぱんに、クリーンな掃除機にしましょ。
掃除機のことは、使いこなせているとおもう。部屋の隅の四角に、キチンと四角いヘッドをあてて、掃除機が吸う威力を発揮して、ほとんど手に力を入れなくて、ただ支えるくらいに掃除機のスティック部分を持って、
スイッ
と、床のところを吸い込むしゅんかんとかとてもいいよね。わたしは、自分の体を弾むようにつかって道具を使いこなす、ことに長けてゆくことを好んでいるとおもう。雑巾やスポンジ。洗剤の量(も種類も)ビンゴなことは、よろこび。そのせいか、四角いかどに丸い自動の機械に動き回られることは多分嫌い。(持ってないけど)。使ったお皿を放るだけで無駄な水流が見えることは多分不快。水を節約する加減を、ちゃんと自分の目と触角で知ってゆきたい。一枚一枚、選び抜いてここに集まった食器を、慈しむように、自分の手で洗いあげているのは、善行を積む。くらいの尊さをかんじる。
洗い上げるたび、生まれたてによみがえる。
わたしは、最初のうどん屋バイトで皿洗いをした。皿洗いは大量にした。上手くね?マリコ。←バイト先での擬名。皿洗いをすることは楽しいという、いい気分が今もつづいているのだ。流しのどこになにを置くかという要領も、ちゃんと身につけている。カトラリー、手前。ガラス物は、流しのプールに沈めない。サッと最初に洗う仕舞うを済ませること。
それが情報なのか実感をともなう知恵なのか。知恵のほうを育てたい。