わたしは、ふみはずしというのを、したかもしれない。こうするしかない道にみえたことが、なにもゆめがないしんろだったのです。何年かは、これがなじむかもしれない、とおもったかもしれない。なにしろじんせいは初めてだから、わたしによくわからない。
なにもかもそぐわない、という時期に、せっせと出かけていた「群れ」があって、無為なじかんだったかとふり返っている。わたしの、いいところが、なにも生かせていないまま、というクセを、自分につけただろうか。
この「群れ」についていこうとしていた頃のことを、シタヅミ、と呼ぶかもしれないけど、これも時代で、苦労はするもの、だなんてかんがえもあったせいで、合いもしないところから、なかなか抜け出せていなかったか。
ふみはずしをしたな、という学校のことは、やめた。
やめた、ことをまちがえたとおもっていなくて、入らなくてよかったな、というまちがえ。どこにもすすむようにはなっていなくて、まちがえる、ことがたいけんするべきことだったのかも。
まちがえて、よかった。他人のルールではなくて、自分のルールですごす、という道に、力点を入れ直すきっかけになったから。
こころかろやかで、健やかにすごそう、という事始め。わたしの、はじまり。
ゆっくりとしていますね。