きょうが雨って知ってる。すこし曇って、お日さまのシルエットが見えたりした。
昨日の、歩き過ぎたのがひびいている。膝を庇うようにゆっくり歩くしかない。そうだ、液体の湿布薬を塗ってみよう、アンメルツヨコヨコ。
泊まった宿に江田島の地図があったので行くことにする。呉の港からフェリーですって、小用港へ。なんか、公共交通機関だけを使ってまわる場合は、「来てるバスには乗れ」というほうそくな気がする。1分以内にのりつぐあわただしさで、塩の温泉ね、これ乗って!みたいなことばを観光案内のひとに投げられて、とにかくバスに乗った。
バスの乗り換え地点に、島唯一の魚介類定食屋さんがあるらしく、店の写真の看板が立っていたけど、店は、先月末に閉店したって。
地元の大型スーパーをさんぽ。そして塩の温泉へ。気持ちのいいお湯ですな、と入って、出て、最寄りに見えてる中町港からの次のフェリー。が16分後に出発する、乗るか。港までは歩いて15分、つまりそっこく着替えて走れ!!
温泉入ったのに、汗だくで大荷物かついで、海沿いの道を走った走った。そして船に間に合った。
湾に沿って走ってるとき、高校生くらいのカップルを追い越したけど、運動会の時に流れるマーチみたいな曲を、すかさず大声で歌う、男子。みっともなく走るわたしにからんできてからかうかんじが、人が、面白いよ、いやいや、いそいでっから。わたくし。
宇品港までの、島々の景色が素敵だった。
下船して、路面電車というものに乗って、停車駅をいっこいっこ瞠る。乗り換えもして、白鳥線の、県立美術館へ到着よ、ブルターニュの絵画鑑賞をたのしみにしていた。
かなり立派な美術館でございました、となりの縮景園へも行く。
昭和20年に、どうだったか。にふれることになる。この橋は、びくともしなかった。石の太鼓橋は、原爆の爆風でびくともしなかったって。技術たるや。日本人すごいよ、なみだがこみあげてくるよ、
この土地に、紙で合羽を作れるほどに、文化は進んでいたが、それは消失した。住所に、紙、の名がある辺りの文化なのかな。祭り船の甲板を飾る紙の細工は、爆風から遠くに保管されていた模型だけが助かったって。