TORABARA さつき28日

嵐で、家も揺れるほど。朝は、なんとか公園に行ってきた。カッパ着て、歩いた。

生クリームを使ったおやつを作る。プレーンマフィンを焼いた。漢字の書き取りを少しして、レース編みを2段して、

家族のひとが画面見ながら、断末魔みたいな声を出していることと、隣にある狭いアパートの住人がダンベルの機器を部屋に入れていて、苦しそうな雄叫びを、あげてるのは、同等な騒音障害だとおもう。

周りにおかまいなしに、どんな音でも露骨な放ち方をする。ということについて経験する時期なのかも、これを克服するまで繰り返される。いやな音よ途絶えろ。音の主とはケンカする、或いは関わらない。いずれ気にならなくなるといい。

出来事って、否定的な解釈をしていたものが後々の自分に肯定されたりする。物事への意味をふってしまわないほうがいい。みたいな話が、バーバラレイさんの本の後書きにあって、80年代終わりに書かれているのに、時代を感じさせない、彗星のような発言だ。知性がたどり着いた領域のことばであろうか。感心する。

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