とりのいちに、なんども行っている神社さんの、宝物の、てんらんかいをみにいきました。ほうのうされた宝は、万華鏡とか笛。とっておきのいい物の、品目が、なんて素敵な時代だろう。時代が薄く進んでしまったようで憂える。
ネットの中に居る人。の動画の対談を、幾つも観て、今日の内にだいたい飽きて、よかったといえる。今、でてるひとでもてはやされているらしい。対話の言語の多彩さ、切り口の角度と、収束力に、刺激があった。ふうん。特徴を拾って、気が済むというかんじ。
老害に関しての過激な発言が注目を集めてたらしい。老害選手、みたいな会長との対談、ふだんは公に姿をみせない、爺さん。アチャコ。って名前の含む、文化の重さが、わたしが聞いていてひびきわたってきた。西日本の70代を超える人々の細胞にふり注いでいる、この時代の、スターというか愛。を産んだような功労者。これが、理論武装した、言語なぞって、無機質にしかなれない40才。若造。の無表情によって聞き流されてしまった時、
なんかこの40才に冷めた。
知らないひとで、もし言語を操らないじょうたいになったら、こういう画面越しに見えてるひとって、肉の塊という丈だよな。知り合いではないひとの、エンターテイメントではない姿は、イマイチだ。ニュース番組でニュースしゃべってるひとの人相とか、顔ってこんなにきちゃないっけ、何年も前だけど、やたら高性能なテレビ画面で政治家の顔がどアップになったのを観て、いやいやいや、テレビって本当に要らない。と思ったのだっけ。