結局連絡を途絶えさせている人が、たびたび夢に出てくる。その人の欲が汚いことが赤裸々になる夢。かんがえられないくらいの姑息さ、こんなにも小銭を稼ぐことに必死なのか、と、実ることのないハゲ山を、わたしが一瞥して、その夢は終わる。
この人は、小さな商売をやっている。いつしか新興宗教の教祖みたいになってしまい、洗脳されたひとを食いものにしている。という方式の店になった。餌食になりそうなひとには、マウント。でしか口がきけない。ここに老害も加わりだしている。
何年も、店を見に行っていないので詳しくは知らないけど。このひとと会った後に、気が重たくなる症状。に気づいて、わたしは、離れた。
4年くらい前に、わたしがベトナム旅行した直後に、店に寄ったのが最後か。ベトナムに一人旅しました、という一行だけを私がしゃべって、あとは、ご自分がベトナムに行った時の現地人雇って、買い付けした話に終始し、買い出し中の、棚を漁るすがたを、ダンナがビデオまわして撮った映像を、何故か見せられた。ベトナムの光景が、暗い店内でビニールに入った雑貨を漁る、というシーンしか無いのだっけ。
先日、散歩の途中に、ふ、と啞然とするおもいが再燃して、それでまた夢を見てしまったか。わたしが一言もベトナムの話をしなかったんだっけ、ベトナムの、どの都市に行ったかも、言う隙間もなかった。
自分にしか価値がない、から転じて、こちらを便利屋だと扱うしごとを振られたりした。最後のせっしょくが、受けてもない仕事の指示、だったのだっけ。きさまなにさま。という度をこしてゆく、老いゆく女の営み。
ご自身の感性が根本から、どうにもなっていないひとは、のたうちまわるしかない。その国の独特さとか、ユニークな人の様子、に寄せる気持ちが何も無くて、お金を振り回して出来る狭い範囲、審美眼のかけらもない事柄が、そのひとの大半の時間なのだろう。
こころが貧相なのに、相対的ななにかに照らして、それを偉ぶる人の滑稽さは、かなりわたしの観察対象という気がした。焦る、足掻く、沈没。まで含めて、見届けたいのかもしれない。