浪費家か消費家か、について書かれた文章を読んでる。嗜好、について書かれている。というか、カントが煙草について書いてる、あまりメジャーではない記述を掘り出したことが元ネタになって、この日本の文筆家の文章は生まれてきたとおもう。
消費というのは、物そのものの享受ではなく、観念や記号の受け取りだということ。消費には、終わりがない。あの流行している店に行ったよ、と人に話したいための行動(物ではなく観念)なので、次々と、店は流行するのできりがなくなる。
いっぽうで、浪費とは贅沢の享受である。買う、所有する、楽しむ、使う。豊かさを感じて充実感を得る。満足をもたらす。そして止まれる。楽しむことによってこそ、記号消費ゲームから抜け出せる。楽しんでいますか、というのが要。
嗜好品、という言葉は日本語とドイツ語にあって、英語とフランス語には、つまりは概念が無い。楽しむとか味わうことのみを、積極的に指示する、あるいは目的を欠いた、嗜むために嗜む行為。
タバコとは。臭覚と味覚のようなところ(塩類と呼ぶ)に働きかけて吐きだされるため、いつまででも嗜んでいられる。また刺激因となって、眠けを取り去る、堂々巡りの短調さ退屈さから繰り返し覚醒させる。常に更新される刺激である。
美しさは高次元にあるけど快楽は低次元だ。それで楽しい(快)は、あまり学術的な論文にされる機会がなかった。哲学とは概念をよりよく整理する学問であるけれども、嗜好品、は、まだよりよく整理されていない。嗜好品、という概念ではじめてアクセスできる地平があったりして。(前編おわり)