ひと月の半ばをすぎて、毎日の日記を記すことが、日記という「ペルソナ」を形成していってる丈なら、早いうちに、やめろと思う。誰かが読むかもしれないことは、そこに、世間が生じるということ。
昨日、写真について考えていたことを、つづきを、考えてたけど、考えなくていいよ。が答え。
今日は今日で、難題かもしれないことが考えを覆っている。大半の時間を過ごしているところがかりそめだよな、という件。前に、なるべく無機質なしごとをすることでしか、コアな自分が守れないって述べた。くさりそうなことがあったので、むかしからふつうに、くさったようなことだらけだったじゃないかということが、走馬灯のようにおもいだされた。もしも、なじみもしないシゴトにひたろうとしてしまえば、シゴト生命をちぢめる。わたしの憧れは、なじみもしないシゴトのことがどうしても続かない、という正直さ。
だから、本当は、シゴトは長びかないはずだということ。それで、長びいているためにかりそめになるしかない。
うやむやさがつづいている。わたしがコミットしていないのは周辺の、しがらみごっこみたいな付き合い。シゴトはpcの中で執り行われています。メールにある名前、担当者の名前。実際に見たことがあるひとはほとんどいない!課長、は毎日、業務上登場しているというのに、先日、出社したときに、リアル課長もそこにいたのに、どの人か確認しなかった。休憩時間が終わったときに課長からクッキーがとどいていたと伝言されたのに、ふんふん、と只、自分のかばんにしまった。あれ?こんなにリアルに興味ないのって、なんなの。
今日の、くさりそうなことは、犬か人かくらい区別があるんじゃないか、という扱い。わたしがよく行く公園は、犬を散歩させているひとが集まってくる。犬は犬にしか興味が無いために、飛び付くほど好きか、牽制して吠えるか、反応が露わ。同じことが、犬か人か分類したような人におこっている。犬が犬に反応するくらいもあらわに。しょくばのひとだけど、犬類が、遠目で人をニンシキしようとしているくらいに、こちらをエイリアンに扱ってる。