形而以下の話題を延々としゃべり続けるひとは、とても多くいらっしゃるとおもう。ひとの、意識というのは、いったいなんの情報で満杯になっているか。ひとがなにをふだんかんじていて、どんないみをつけていっているか。
ここに、位相というのがあって、あるいは透明か濁ってるか、段階的に、こういうことにこそ、レベル。があると思う。ペンキを混ぜてゆくと、最終的に、なにを混ぜても同じ色になるのだけど、どどめ色といって、茶色のような、鈍そうな色。形而下の話しかない状態って、つまりは「同じ」話しか無い、どどめ色なひとたち。なのだ。
透明群は、じつに万華鏡の如く、いつも新鮮な生が展開してゆくのであり、いっぽうで、どどめ色に陥っているひとたちは、同質な観念に嵌っているだけ。時間がすすむということすら無さそうだ。ただ同類は沢山いて、しゃべり相手には事欠かなそう。
どどめ色のペンキは、棄てるしかなくなるように、はたして、どどめ色に腐ったようなひとの頭の中って、捨ててしまえるといいんでしょうけど、アタマ、膿んだままなのかしら。と、通りすがりに聞こえてくる、くだらない話題をながめる、きょうこのごろです。