50才にもなろうかという頃に、わたしはやっと、けっこんする。
わたしにとって、ちょうどよい頃だと思った。わたしはけっこんがしたかったわけでは無い。けっこんしないことをさみしいとおもったことも、多分、無い。けっこんにまつわることごとく、が、得意なことではなく、しんせきがふえるとか、やたらと身内の話題がふえることとか、今までNOだったことのかずかず。わたしは実家と、絶縁に近いくらいだった。わたしのバランスがガラリと変わる。
ほんとうにちょうどよい頃なのだっけ。けっこんをしたいひとと、たまたま知り合った。魅力的なひと。マヒしてて考えていない。けっこんを急いで、けっこんという話題が共通だったせいで、けっこんするやら。なりゆきまかせなはこびがあった。
ドレスを着て写真を撮ってもらうことになって、わたしが50才にもなろうかという姿であることを、ニンシキした。白塗りが白浮きしてお化けみたい。わらっているつもりがひきつっている。くちが小さすぎる。下に垂れさがったシワ。
わたしにてきれいきがあったのだろうか、自然なままで、姿が、けっこんをするむすめそのものな頃が、ふりかえってもみあたらない。そして歳をとったのだ。脳裏にやきついてしまった、撮られてしまった映像の数々、映像で見えるそれらが滑稽だった。写真に慣れていないですか、緊張していますか、写真スタジオのアシスタントの掛け声って、余計に、シロウトをブサイクに撮る仕掛けみたいだった。
それで病人みたいに寝込んでしまった話。ケイタイに残ったデータを全て消した。1枚だけ、台紙付きになって、来月送られてくるらしい。こんなに落ち込むなんて。50才になろうかというひとを拾わなきゃよかったのに。チープなドレスを着る機会に近寄らなきゃよかった。
けっこんなんてしたいんだっけ、自分のドレス姿が、よいものではなかったなんて。うちがわにしょうじょがいてなきじゃくっている。