御岳山の神社さんへ行く。武蔵御嶽山神社へは初めてだから行ってみたいんだよねと人に話したら、何年も前に、そのひとと一緒に行ったと言われた。覚え違いじゃないの、と思って行ってみて
神木の巨木を見て、ああ、見たことあると思った。神社さんのことは、ほとんど見たことない位、前に行った頃の私は内面が彷徨っていたか、記憶が朧になるメカニズムってなんだろう。
狼さんを祀られているから、犬さんも入って来ていいことになっている。現在は、犬さんが家族の一員になったりして、四足の獣は穢れだ、とする神域の結界の掟を、ゆるめざるおえなくなっている。女人禁足地、というのがあったり、いにしえの知恵がはかりしれないのに、現在の左脳的知性でしか進めない事態に、嘆きは多い。
お抹茶腕があって、本式には、貯めおいているお湯でしか洗わない。この場合の、洗剤を付けて洗うなんてご法度、という洗剤を、お抹茶腕にとってはケガレ、と表現されようが、洗剤が穢れでは無い。物事の棲み分けというか、正しく美しいおさまりかたというか、文化というのは言語化したところでたよりないことになる。
獣を境内に入れるのをやめろよ、というわたしの直感。それでこの神社さんのことを記憶から消してたか。神社の神籤が凶だったけど、こことは、こころのほうこうのたがうことを示されたのかも。