TORABARA しわす19日

ワーク、三年ほど前に始まった仕事、細かい数字と指定のある文言。という規定内作業を延々とする。こういう仕事があることが1で、失くなれば0。来年3月で、0になったりして、3年で終わるケイヤクヲシテイル。この仕事がわたしに向くとかはなく、誰かさんと、直ぐにでも、替われる。収入があったことですこし生活が助かった。目のくたびれが少しふえた。ショッピングモールのある町に通えて、すこしたのしかった。すこし。

ライフ、三年ほど前に、結婚生活が始まったから、人ひとりと知り合ってゆく時間になっている。味わったことのないような感情や、珍しい局面が多々あった。こういう時間とか内容がわたしの人生を刻んでいっている。

もしも、ライフの方も、結婚は終了、3年ごとに取り替えを繰り返すとしたら、ものすごい分厚さで人生を体験してゆくことになる。

ライフとワークをあわせてかんがえれば、ワークはうすいくらいでよくないか。と思えてきた。

ワークのお役割が重役だったりするひとはライフがAIに近くなる。予定調和、がからだに染みついてしまうことの涯ては、単調で短絡な頭の回路になったりする。時間。場所。に縛られすぎる。なるほど、ワークが脱げなくなっては、ろくなことがなさそう。

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