丸2年経つこと。その日は奇跡的に、桜が咲いて、いつもの公園から、富士山が見えることを、通りすがりのひとの会話で知った。富士山のことをわたしの耳に伝える使徒だったか、天からの粋なはからいかしらとおもった。区役所からはタクシーに乗った。二人きりで式を挙げたこと。モエエ・シャンドンで祝福したこと。夜景は東京タワーの灯りで空の色が群青色になっていて、ビルが建ってゆくのがラッシュな頃だったから、首の長い、クレーンが連立している光景を、眺めた。いいね、都会。
神社さんにて厳かな式だったこと。ホテルのお部屋で、神社さんから贈られた品物を、丁寧な包み紙を開けて取り出して、ぐるりまわしてみる。光にかざして眺める。またそれを大事に仕舞ってみる。いいものをいただいたことをたしかめていた。塗りのお椀とか盃。
計画外のことがあったので、いい写真が残せていない。
旦那のひとは、日頃のくたびれがピークになっていて、目が赤いのが引かなかった。式に間に合うように、一週間前から目の病院へも行っていたのに穏やかな薬しか処方されなかったため、赤いままだったなんて。飲み薬だったら即効性があるから、赤いのは引くのに。ちゃんと医者にいえばよかったねと、後々何度も言っている。
わたしは当日、朝の4時には起きていて、眠っていないといかに写真映りがひどくなるかを思い知った。メイクとか着物のスタッフさんに逐一、服や髪を直されながら撮影されて、調子が狂ったとおもう。慣れないシチュエーションで顔面がひきつる。こちらも都度、捨てるほどいやな写真をとられるくらいだったら、点検すればよかった。スタッフさんに、緊張するからつきまとうのを止めて。と言うべきだった。写真を、好きになれない。残したい写真が、全く無くて、このことを引きずってしまい、何ヶ月も、写真っておもうだけで泣くほど、嫌な気持ちで停滞した。今もほとぼりはある。カメラマン←下手。から送られた元データを、捨ててしまったことで、もう頭の中の残像も消えてくれるといいです。
ハレの日なのに、いい写真が残らなかったなんて。誰にもみせたくないのに、「結婚」という「体裁」は、容赦なく写真を廻してしまうものらしい。気に入れるとよかったのに。気に入れるとよかった。
わたしがこころでシャッターをきったほうの、かけがえのないひとつひとつを、ちゃんと覚えていようとおもう。
あ、今日の日記を書くのだった、特に変わったことのない、なんでもない日。2年前の今日を、思い出していた。