漢字書き取りをテストされる夢。クジラの幼い歯のことを二文字で、乳なんとかっていうよなー、夢の中の世界で覚えているものごとの中から思い出そうとしてる夢だった。わたしの隣にいるひとが正解を書いて、ああ、そう、それだ。と合点してたわわたし。嚼、みたいな文字と組み合わせた、かも。
価値基準が一律過ぎる、どこかしこ、例えば学校の内側、その窮屈を、わたしは乗り越えることは無く、それが中退の理由になったりした。パンパンな飽和状態で思考停止して、からだまでカチンコチンになる。という観察。
せっせと、わたしは学校の先生になるのだと、掲げた旗の誇示が五月蝿かった高校の同級生。教育大学へはすすんだものの、スポーツジムの先生に就き、途端の4月に身籠った。社会に出る間もなく姑の顔色伺いしてるって丈な営み、主婦になりましたとさ。という物語を、わたしは何度もなぞって考えている。先生になる、という豪語こそが、ご自身の序列の優位と同義になっていたことから、一転して、数年後の無計画な姿を、ひとっていいかげんだね。と眺めた。彼女は、ところで、憐れか。夢を持つことを周囲に強要してまわる彼女は、ご自身の顛末の予感があったからこその強迫観念があったのか。そのひとがこわがることをこそ、そのひとは引き寄せたのか。
ご縁とは奇なるもので、固有で独特だということ。横並びの相対化されたような価値観でしか物を見ないでいる、所属先で浴びてしまっている判断の基準が害だということ。あなたにおこる、ながれを信じて、身を任せて運ばれゆく。
こわくない、というカンカクは、ひとの纏うゆめと一体で、伸びゆく芽そのものなまま、自由な女神として、あなたの旅はつづく。あなた、すなわち、わたしの。