TORABARA 学校のこと1

わたしは、芸術関係の領域が含まれた専門学校に通ったことがあると思うけど、カリキュラムについていけなくて、辞めてると思う。カリキュラムを肥大化してかんじていられるなんて、わたしの才能がいかにありあまるほど大きい。学校に通っている人たちに憧れをいだくことが多かった。魅力的で刺激的。こんなに素敵なことたち。と、おもっていたとおもう。

その前に、6流大学に入って、辞めてる。周りのひとたちすべて意に介さない輩。豚の肉を茹でたときに、白い脂身の灰汁がうくとおもうけど、そこにいる学生さんたちの存在が、捨てるような要らないもの。という印象しかいだけなかった。

物事を深掘りすることが出来ない、なにかを掴む力が足りない。うわばみだけが彼ら彼女らの養分なのか、と観察した。ノリ。ノリの良さ。ちょっとでも切り込んだ話をしようとすれば、こだわるー、暗いー、的な単語で塞がれ、こちらから何も喋れなくなってた。対話が成立したことがほとんど無かった。

わたしの許容量が狭かったのかと思って、再び、大学案内のサイトを眺めてみたけど、同類のうわばみみたいな人たちが、すくない脳でから騒ぎしている写真。この嫌悪感に、蓋をしていただけで、わたしからの感じ方は、なにも変わっていない。なぜにこんな大学にかかわったりしたんだろう。不毛の禿げ山。大学に入ったこともやめたことも、ほとんど他人にしゃべっていない。まだ、整理はつかない。

ただ、ここに通ったことでしか出会えなかったひとと出会えた。救いがあったというか、代償がおおきすぎたか。学費とか、恙ない進路を挫くとか。レールだといわれていることを悉く外して、アウトサイダーとして生きることで、はじめてわたしの出発点になっているので、大学が辞めるほどイヤな所、で良かった。というべきか。

すごい優秀なひと、とおもって聞くと、タイトル取ったみたいな一流大学でした。ということはあったけど、反対は無い。有名大学を出たはずなのに、こんな程度なのか、似非かってことは、けっこう多い。人生の最大のとくちょうが有名大学。でしかないことは悲しいとおもうけど、もう、墓石も、有名大学。でいいから。というくらい、なんなら40秒に1回、有名大学を口にしてるひと。学校がついてまわる生き方はある。ほぼ凡人だから、大学名は付けたまま生きてるか。ひとは。

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